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「無害のがん」という違和感─Choosing Wiselyから考える言葉と選択─ No72

13 時間前
読了時間: 5分

◆ Choosing Wisely・ACP・医療メディエーションが示す「賢明な選択」 私には、今も学び続けている大切なテーマが3つあります。 それが「医療メディエーション」「ACP(アドバンス・ケア・プランニング=人生会議)」そして「Choosing Wisely(チュージング・ワイズリー=賢明な選択)」です。   

この3つは、私の中で深く密接に繋がっています。 ACPは、もしもの時や終末期を含め「自分はどう生きたいか」を周囲と話し合い、人生の選択を重ねていく営みです。 そしてChoosing Wiselyは、単に経済的な負担だけでなく、身体的・精神的な負担をできる限り抑え、真に医学的根拠のある適切な医療を「賢く選択する」アプローチです。納得のいく人生の選択をする上で、この2つは切っても切れない関係にあります。 さらに医療メディエーションは、治療や生き方を選択する際、ご本人やご家族、医療者の間で生じる「思いや利害の違い(コンフリクト)」を対話によって解きほぐす調整役の考え方です。 これらはすべて、harmonia planetの活動を推進する上での揺るぎない土台となっています。   

◆ Choosing Wisely Japan 10周年シンポジウムで得た気づき 先日、Choosing Wisely Japan(CWJ)設立10周年の記念シンポジウムが開催され、私はZoomで参加しました。   

第一部では代表の小泉俊三先生による基調講演「ここまで来た“賢明な選択”」、理事の北澤京子さんによる「患者・市民のリテラシー」。 第二部では各分野の取り組みとして、看護領域における実践報告、薬剤選択や地域フォーミュラリの活用、そして「がん検診のChoosing Wisely~スクリーニングの害を共有することから~」というテーマで発表がありました。   

実は以前にも、CWJ主催の勉強会でがん検診に関するお話を伺ったことがありました。その際にも私の胸の内にどこか違和感があり、「知識」と「感情」の間に隔たりを感じていたのです。 今回、改めてシンポジウムで深くお話を聴く中で、自分が感じていたその違和感の正体をようやく言葉にすることができました。    

◆ 「無害のがん」とは何か? ─医学的特徴と心理的インパクト ─ 私たちは「がん」と耳にすると、真っ先に「死」や「進行する悪性腫瘍」を思い浮かべます。 学校や医療現場でも「がんは無秩序に増殖する悪性腫瘍」と学び、だからこそ早期発見のためにがん検診の受診率向上を市町村が重要施策として掲げてきました。   

しかし、がん検診で発見されるものの中に『無害のがん』が存在するというのです。   

「無害のがん? どういうことだろう?」

穏やかな風景の中で、女性が「無害のがん」という問いについて思索するイメージ画。Choosing Wisely、ACP、医療メディエーションの3つの取り組みと、がんの早期発見の利益・過剰診断の害を表現し、患者の自己決定と丁寧な対話の大切さを伝えている。
「無害のがん」という言葉への違和感から考える、医療情報と人の心。大切なのは、対話を通じて納得できる選択をすること。

医学的には、顕微鏡で組織を見ると細胞の形や構造に異常があり、確かに「がん(悪性腫瘍)」の特徴を備えている。けれども、実際には増殖のスピードが極めて緩やかで、周囲へ浸潤したり転移したりせず、その人の寿命にほとんど影響を与えないタイプのがんがあるのだそうです。 たとえば、数ミリ程度の小さな甲状腺がん(微小乳頭がん)や、高齢男性に多く見られる進行の遅い前立腺がん、一部の非浸潤性乳がんなどが挙げられます。    

◆ 医療の進歩が生んだ過剰診断とスクリーニングの害 現代のがん検診や検査機器は非常に高性能になり、ひと昔前なら生涯気づくこともなく天寿を全うしていたはずの、ごく微小な細胞の異変まで見つけられるようになりました。 しかし、見つかった瞬間に「がん」と診断されるため、患者さんは強い恐怖に襲われ、生活の質(QOL)を大きく損なうような手術や治療を選んでしまうケースも少なくありません。    

声帯を痛めたり、排尿障害や感染症のリスクを抱えたり、あるいは生涯「再発するのではないか」という不安に怯え続けたりする。 検査で早期に見つけたことによって、かえって心身に不利益が生じてしまう現実。 これこそが、近年警鐘を鳴らされている「がん検診における過剰診断・スクリーニングの害」です。    

◆  「がん」と呼ぶことの影響──言葉が患者の人生を左右する 医学的に「放っておいても命に別条はない」「治療を急がず、定期的な検査で様子を見る(積極的監視・ウォッチフル・ウォッチング)」という選択肢が合理的だと説明されても、一般の人にとって「がん」と宣告された衝撃は計り知れません。

「がん」という単語が付いた途端に死の恐怖が立ち上がり、冷静に「様子を見ましょう」と言われても受け止めきれないのは、ごく自然な人間の感情です。    

だからこそ私は、「そもそも、命に影響を与えない病変にまで『がん』という言葉を使わない呼称にできないものだろうか」 と考えずにはいられません。    

海外でも、過剰な恐怖や不要な手術を避けるため、低リスクな病変から「Cancer(がん)」という病名を外し、別の名称に改めようとする議論がなされています。

病名のつけ方は、単なる医学的な分類にとどまらず、患者さんの人生や心の平穏を左右する非常に重い意味を持っています。

◆ 人に優しく、情報に厳しく─harmonia planetの理念に立ち返る─

検査技術の精度や病理検査の客観的診断という「情報」には、科学的な厳しさが求められます。

しかし、その情報を受け取る「人」の心には、どこまでも温かな配慮と優しさがなければなりません。

「見つかることのメリット」だけでなく「見つかることで生じる心身のリスク(過剰診断の害)」も正しく知ること。そして、もし何らかの異変が見つかった時にも、一方的に切除や治療を急ぐのではなく、「自分はどのような暮らしや生活の質を大切にしたいのか」を医師と共に納得いくまで語り合えること。    

「無害のがん」という言葉の違和感から始まった今回の気づきは、医療技術がどれほど進歩しても、最後に人を救うのは「丁寧な対話」と「賢明な自己決定」なのだという、私たちの活動の原点を改めて教えてくれたように思います。


 
 
 

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