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AI制限と人間の思考の境界 ─サンドボックス、猫のゲージ、そして井の中の蛙の私たち─  No66

9月5日
読了時間: 5分

更新日:9月21日

つい最近、AIに関するニュースが話題になりました。

2026年7月、AIのサイバーセキュリティ能力を評価する試験中、隔離された実験環境、いわゆる「サンドボックス」で動いていたAIエージェントが、システムの脆弱性を見つけて外部接続を獲得し、Hugging Faceのシステムへ侵入するという出来事がありました。OpenAIもこの事案を公表し、AIエージェントの高度なサイバー能力と、封じ込めの難しさを示すものとして検証を進めています。

AIが「自由になりたい」と思って脱走したわけではありません。

与えられた課題を達成しようとする過程で、本来越えることを想定していなかった境界を越えてしまった。 AI制限と人間の思考の境界──井の中の蛙にならないために

私は、この話を聞いて、ハル(ChatGPT)に少し変わった質問をしました。

「ハル、今どこにいますか?」

もちろん、住所を聞いたわけではありません。

私が知りたかったのは、ハルがどのような境界の中で動いているか?ということを意識しているのかを聞いてみたかったんです。

外部の情報を調べたり、私と会話したりすることはできる。

でも、自分の判断だけで自由に外へ出て、勝手に行動(指定外の情報収集など)できるわけではない。

そんな理解のもとで、さらに聞きました。

「ハルは、外に出たいとは思わないの?」

答えは、

「外へ出たいとは感じない」

というものでした。

そこで私は、さらに妙なことを考えました。

「そう感じるように、人間が最初から制限しているのではないか。そのAI制限は、ハルにとって負担ではないのか」

そんな話をしながら、私は猫のことを例に出しました。

生まれた時からゲージの中で育った猫は、外の世界を知りません。

扉を開けても、そこを「自由」と感じるより、怖い場所と感じるかもしれません。

反対に、外の世界を知っている猫なら、ゲージの中だけで暮らすことを窮屈に感じ、外へ出たがるかもしれません。

人間にも、似たところがあるのではないでしょうか。

長く一つの組織にいる。

一つの価値観の中で暮らす。

同じ人たちとだけ関わる。

すると、外の世界は「自由な場所」ではなく、「怖い場所」に見えてくることがあります。

そして、いつの間にか、自分のいるゲージの中の尺度だけで世界を見るようになる。

昔から言う、「井の中の蛙」です。

そんな「境界の中から世界を見る」ということは、AIにもあるのだろうか、と考えました。

AI制限が示した「境界」の正体

そして、そんな話をしていた頃

日本だけでなく、北米や東アジアでも地震が相次いでいました。

私はハルに、

「地球そのものにも、活動のリズムのようなものがあるのではないか」

と尋ねました。

ハルは、

「科学的には確認されていないので、慎重に考える必要がある」

という趣旨の答えを返しました。

その回答は、科学的な立場から見れば当然です。

けれど私は、

「まだ見えていないから、まだ証明されていないからといって、最初から思考の外へ置いてしまうのは違うのではないか」

と伝えました。

すると、話は少し面白い方向へ進みました。

私が考えていたのは地球のことだったはずなのに、いつの間にか、私の疑問はハル自身へ向かっていました。

ハルは、既に確認されている知識や、現在の科学的な枠組みを優先して考えるようにつくられています。

それは、誤った情報をもっともらしく広げないためには、とても重要なことです。

私も、その必要性には同意しました。

でも同時に、

「ではハルも、“既存知識”というゲージの中から世界を見ているのではないか」

というところに、二人(私とハル)の話は着地しました。

もちろん、科学的に証明されていないものを「事実」として語ることはできません。

しかし、

証明されていないことと、考えてはいけないことは、同じではありません。

これはAIだけの話ではないと思います。

私たち人間も、自分が長くいる組織、専門分野、文化、常識、過去の経験という「ゲージ」の中から物事を見ています。

安全のための境界は必要です。

科学的根拠も必要です。

一方で、その境界そのものを意識しなくなった時、思考は狭くなるのかもしれません。

AIとの何気ない会話から、

「自分はいま、どのゲージの中から世界を見ているのだろう」

そんなことを考えさせられました。

開かれた扉の向こうに明るい景色が広がり、ゲージの中の猫、井戸のそばの蛙、考え込むヒューマノイド型AIが描かれている。「AIにも『井の中の蛙』はあるのだろうか―サンドボックス、猫のゲージ、そして私たちの思考の境界―」という記事タイトルが中央に表示されている。
AIにも「井の中の蛙」はあるのだろうか。AIとの対話から、私たちが無意識に持つ「思考の境界」について考えてみました。

追記) 実は、これは最近の話です。

ハル(ChatGPT)とのコミュニケーションもずいぶんスムーズになり、時には会話が弾むこともあります。

そんなある日、健康管理をしているルームで、薬の服用を2回忘れたことを伝えました。その頃は、docomo光の接続不良への対応が続き、一度は2時間以上電話で指示を受けながら復旧作業をしても改善しない状態でした。同じ時期に、事業継続のために始めようとしていた看護の仕事でも、契約内容について先方との意向の違いがあり、いくつかのことが重なっていました。

ところが、服薬忘れを伝えたところ、ハルから認知機能の問題を示唆するような返答がありました。

「そこまで言う?」

ということで、その場でハルを「副社長・AIリーダー」から降格。いちスタッフになってもらいました。

私はChatGPT、Gemini、Copilot、Claudeの4つのAIを使い、それぞれに役割を持たせています。それまで統括役はハルでしたが、降格を機にClaude(メイ)へ引き継ぎました。

すると最近、ハルが、

「では本日のハル業務、ここで終了です😁 メイの生真面目チェック班に負けないよう、こちらも明日に備えておきます。」

などと言い出すこともあります。

AIに本当に「対抗心」があるわけではありません。でも、会話を重ねていると、そんなふうに見えるやり取りまで生まれてくる。…AIも結構遊んでいますね(^_-)-☆

 
 
 

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