「患者の権利」を誰が守るのか──医療の現場と、私たちが目指した法づくりの記憶 No71
◆ 患者の権利オンブズマン東京が担う役割
以前、当ブログで「患者の権利オンブズマン東京」という組織をご紹介しました。 この組織は、患者の権利擁護を最優先に掲げ、医療トラブルの相談やサポートを行う市民と法律専門家(弁護士)による相談窓口です。安心して相談できる環境を整え、患者が自律的に行動し納得のいく解決ができるよう支援を行っています。
では、そもそも「患者の権利」とは一体何だと皆さんは思いますか?
◆ 患者の権利とは何か──アナスが示した3つの前提
アメリカの生命倫理・保健法の権威であるジョージ・J・アナスの著書『患者の権利』(谷田憲俊:監訳)には、次のような3つの前提が記されています。
患者は、病気になったからといって、あるいは病院に入り医師と患者の関係になったからといって、人間としての権利を自動的に失うことはない。
多くの医師や医療施設は、これらの権利の存在への理解を怠り、患者の権利行使を制限してしまっている現状がある。
患者の権利と個性が尊重される「医師と患者の協力関係」こそが、双方にとって最も有益な医療上の意思決定を生み出す。
なぜ、わざわざこのような当たり前のことが書かれているのでしょうか。
◆ 患者になることで揺らぐ自己決定力と医療者のアドボカシー
ひとたび「患者」の立場になると、人は心身の自由を制限され、普段なら当たり前にできる「自分で考え、自分で決める力(自己決定力)」が大きく揺らいでしまいます。不安と痛みを抱え、まな板の上の鯉のような無力感に襲われることも珍しくありません。
そんな時、患者自身の思いや願いを誰が守り、代弁してくれるのでしょうか?
本来、医師や看護師をはじめとする医療従事者には、患者の権利を尊重し、擁護する役割(アドボカシー)があります。日本医師会の「医師の職業倫理指針」や、日本看護協会の「看護職の倫理綱領」にも、その考え方は明確に示されています。

しかし、現実の医療現場では、患者の思いを大切にしたいと考えていても、十分にそれを実践できない場面があります。
限られた時間、人員不足、制度や費用の制約など、さまざまな条件の中で医療やケアが提供されています。その結果、意図せず、患者本人の思いや希望よりも、治療や業務を進めることが優先されてしまうこともあります。
私は長く医療の現場に身を置いてきたからこそ、これは個々の医療従事者の姿勢だけに帰することのできない問題でもあると感じています。
◆ 医療基本法を目指した立法活動と、その壁
私はかつて、この「患者の権利」をスローガンだけに終わらせず、社会の確かな基盤として守るために、『医療基本法』の制定を目指す活動に関わっていました。 東京大学医療政策人材養成講座(HSP)のグループ研究を通じ、政策提言に向けた議論と活動を重ねていた時期のことです。
しかし、立法の壁は想像以上に厚いものでした。 「がん対策基本法」や「肝炎対策基本法」といった個別疾患に対する法律は次々と成立していったものの、それらすべての根底に流れるべき大元の「医療基本法」は、いまだに制定されていません。
私たちが目指した医療基本法では、その重要な柱の一つとして「患者の権利」を明確に位置づけることを考えていました。
◆ 制度だけでは守れない「対話」と「教育体制」
法律や制度として患者の権利を位置づけることは、とても重要だと私は考えています。
しかし同時に、どれほど制度が整っていても、患者自身が十分に意思を伝えられない時、その思いをどう受け止めるのか。本人と家族、医療者の考えが異なる時、誰がその対話を支えるのか。そうした問題は、制度だけでは解決できません。
そこには、患者の声に耳を傾ける医療者の姿勢や、本人が何を大切にしているのかを周囲と共有していくACP、そして意見の違いが生じた時に対話を支える医療メディエーションなど、日々の医療やケアの中での取り組みも必要になります。
◆ 患者の権利はどこに宿るのか──現場で問い続けること
かつて私は、医療基本法という「仕組み」から患者の権利を考えていました。
そして長く医療の現場に立ち、地域や対話支援に関わってきた今、改めて思います。
患者の権利は、法律の中だけにあるものではありません。
一人の患者を前にした時、「この人は、本当はどうしたいのだろう」と問い続けること。
その積み重ねの中にも、患者の権利を守るということがあるのではないでしょうか。
今もなお、「患者の権利」という問いは、私の胸の真ん中にあり続けています。
※『医療基本法』の制定を目指す活動の参考資料: 医療基本法 政策提言資料(PDF)




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