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【70代 看護師 起業】危機を乗り越えた「いきるを育む」  No24

更新日:11月15日

<はじめに>

先週の No.23 (70代で起業した看護師が遭遇!ChatGPTが見抜いた特殊詐欺と商標登録の落とし穴 No23)では、70代で起業した看護師の私が直面した、Web上での特殊詐欺や商標登録といった「仕組みの不確かさ」にまつわる試練についてお話ししました。

「いきるを育む」——この言葉は、私の人生の指針であり、現在の事業を支える重要な理念です。「いきる」を何故ひらがなにしているかですが、ひらがなにすることで「生きる=生命」「行きる=行動すること」「居きる=ただそこに居る、生活する」などと言い換えることも可能です。それらを含めて「育む=愛情を込め、大切に育て守ること」なのです。もしこの揺るぎない理念がなければ、私は起業直後の挫折やデジタルな試練で立ち止まっていたかもしれません。

今回は、この「いきるを育む」という信念が、21世紀高野山医療フォーラムでの学びを通じてどのように形成され、深化していったのかをお話しします。70代 看護師 起業としての経験を踏まえ、スピリチュアルケアACP(アドバンス・ケア・プランニング)、そして傾聴といった終末期医療現場の核心について触れていきます。


<21世紀高野山医療フォーラムでの出会い>

2007年8月に3日間開催された21世紀高野山医療フォーラムに参加し、学びと思いが深く結びついていきました。「生と死が手を結ぶには~現代医療とスピリチュアリティより」と題されたこのフォーラムは、当時としては最先端の、そして心と深く向き合う医療のあり方を問うものでした。

名だたる医療者、宗教学者、作家の方々が登壇し、多角的な視点から議論が展開されました。その中で、特に私の心に深く響き、「いきるを育む」という理念を形成する上で核となった学び、それは、ACP傾聴の重要性に繋がるものとなりますので、フォーラムの要点をご紹介します。


<「いきる」の質と尊厳を考える>

当時埼玉医科大学客員講師の武田文和氏からは、「エンド・オブ・ライフケア」の重要性が語られました。従来の「治す」治療だけでなく、超高齢社会においては、終末期医療として、痛みから解放され、QOL(生活の質)を重視する緩和ケアがいかに大切かという内容でした。痛みから解放されてこそ、心の痛みへの対応も効果が出るといった学びは、「いきる」ことの質を深く考えるきっかけとなりました。

霧がかかる高野山の杉林と寺院、21世紀高野山医療フォーラムの風景、和の精神
キャプション案: 「21世紀高野山医療フォーラムが開催された高野山の情景。

<スピリチュアルケアと「育む」プロセス>

シンポジウム「スピリチュアルケアが問われる時」では、当時の国際看護協会会長の南裕子氏や作家で精神科医の加賀乙彦氏らが登壇されました。

加賀乙彦氏からは、幸福な思い出を引き出すスピリチュアルケアの可能性が示され、患者との共通点を持つことがコミュニケーションを深めると語られました。これは、他者との関係性の中で互いを「育む」ことの重要性を示唆していました。

森亘氏(前日本医学会会長)は、医療は患者の自己治癒力を助けるものであり、患者の内なる力を忘れてはならないと強調されました。これは、他者の「いきる」力を引き出し、「育む」という私の考えと深く共鳴しました。

山折哲雄氏(宗教学者)からは、言葉の限界のその先にある「沈黙の看取り」や、エンドオブライフを自然に還るという日本人の精神性として捉える視点が提示されました。

井村裕夫氏(前京都大学総長)は、医学が科学として発展するために心と体を別々に分けてきたが、それが現代では課題となっていると指摘しました。心と体の統合的な理解が、「いきる」全体を育む上で不可欠だと再認識させられました。

また、松長有慶氏(当時高野山真言宗官長)の講演「弘法大師空海にみる生と死」では、輪廻の思想や、大宇宙の中に人が生き、自分の中に大きな宇宙が存在するという視点から、人としての生き方と向き合うことの尊さを学びました。どんな人にも仏性があるという教えは、全ての人に「いきる」価値があり、それを「育む」べきであるという私の信念を補強しました。


<傾聴と包括的ケアの重要性>

柳田邦男氏(21世紀高野山医療フォーラム理事長)と南裕子氏の対談「病者の心をみつめて」では、柳田氏から、心を開いてもらうには、まず「しっかり聴く姿勢」が不可欠であること、そして言葉の限界を知ることが大切だと語られました。在宅看護においては、家族、地域、ボランティアを含めた「家族的ケア」が求められるという言葉は、私の「支え支え合う」という考えに具体的な形を与えました。

南氏は、患者が困難な状況にある時、看護師も無力感に陥り燃え尽きてしまうジレンマに触れ、リエゾン看護師が看護師を支えること、そして市民を含めた支援体制の必要性を提唱されました。これは、「支える側もまた支えられる必要がある」という私の「支え支え合う」の循環論を補強するものでした。

さらに、村田久行氏(当時京都ノートルダム女子大学教授)による講演「スピリチュアルケアの実際」では、スピリチュアルペインが「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」であると定義され、そのケアのプランニングについて学びました。これは、「いきる」ことの困難さに寄り添い、その意味を共に「育む」ケアの重要性を深く教えてくれるものでした。

古い地図と羅針盤、人生の理念と指針、未来への方向性
「揺るぎない理念が、人生の航海における羅針盤となり、不確かな時代を乗り越える道筋を示します。」

<理念が導く:ACP、コンフリクト解決、そしてメディエーターの役割>

これらの深い知見と、私の50年にわたる看護経験が結びついたとき、私は一つの確信を得ました。それは、現代の医療・介護現場が直面する最も難しい問題こそ、この「いきるを育む」という理念で解決できるということです。

特に、超高齢社会で避けて通れない課題、例えば、患者さんの意向を尊重した終末期医療の意思決定(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)の支援においては、傾聴と対話の重要性が不可欠です。また、人生の終盤に見られる家族や医療者間のコンフリクト(対立)や、認知症の方への尊厳ある対応には、言葉の裏にある真の思いを汲み取る力が求められます。

私自身が、その対話の円滑化を専門とするメディエーターの視点を持つことで、この理念は単なる概念ではなく、現場の「不確かさ」を解消する具体的な技術となります。このフォーラムで学んだ「傾聴と包括的ケア」の重要性は、そのまま私の事業の柱である「現任教育」と「家族支援」の技術的根拠となって<「いきるを育む」という私の理念へ>

これらの学びは、私の「支え支え合う関係」への思いを強固にすると共に、「いきるを育む」という言葉が私の揺るぎない座右の銘となりました。フォーラムでメモした内容は今でも読み返しており、これらの深い知見と個人的な経験が結びつき、現在の私の事業の背景をなす理念へと昇華していったのです。

この理念に基づき、私の事業では、「支える家族や医療者が孤立しないための家族支援」、そして「看護師一人ひとりの内なる力を引き出す現任教育プログラム」を提供しています。この理念を土台にした安全で確かな仕組みづくりこそが、私が70代で起業した理由です。


※「いきるを育む」という学びは、私たち自身を支える土台になります。ですが、その土台が揺らぐほどの厳しい現実に、私は医療現場で何度も直面しました。

特に、支える側である私たち医療者が、どれほど孤独で深い心の傷を負うかを、多くの人に知ってほしいと願っています。

※21世紀高野山医療フォーラムについては「『生と死』の21世紀宣言ー日本の知性と15人による徹底討論ー」共著:柳田邦男・静 慈圓、㈱青梅社発行、2007年9月6日発行されています。


➡️ 次の記事では、命の現場で直面した「死」と「葛藤」の壮絶な体験談を、私の心の声としてお伝えします。




 
 
 

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