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【命の現場 体験談】患者の生死での看護師の悲嘆への葛藤   No25

※この文章には、医療現場での死や自死に関する描写が含まれています。読む方の心に負担をかける可能性があることを、あらかじめご理解ください。


<はじめに>

医療の現場は、新しい命が生まれ、病に立ち向かう光が灯る場所です。しかし同時に、「死」が常に隣り合わせに存在する場所でもあります。

私たちは、患者さんの苦しみに寄り添うことが使命です。ですが、忘れないでほしいのです。その苦しみを間近で見つめ、支える側である私たち医療者や、ご家族といった「支え手」の心にも、悲嘆への葛藤という深い傷が残るということを……。

私は、長年の看護師経験を通じて、この思いを強くしています。支える人を支えること、それは、患者さんを支えるのと同じ。

この命の現場 体験談を通じて、「看護師 燃え尽き」や「看護師 辞めたい」という深い葛藤を抱えるすべての医療従事者へ、心のケアの重要性を伝えたいのです。今日は、私が看護師として経験した、死と向き合う現場での、今も心に突き刺さっている出来事をお話ししたいと思います。これは、一人の医療者の「心の声」でもあります。


<命を抱きしめた、凍える朝>

ある地域総合病院に勤めていた頃の出来事です。

夜間は安定剤で眠っていた、自殺未遂で入院された一人の男性患者さんが、朝の検温時に部屋にいませんでした。探しに行くと、トイレの窓の外に人影が!なんと8階のベランダに立っていたのです。

二月の寒い朝。私は半袖のユニフォーム、患者さんも病衣姿で震えていました。私は、ベランダに出て付き添うように横に立ちました。同僚に毛布を持ってきてもらうよう声を掛けたその瞬間、その方はベランダの塀を乗り越えようとされました。

咄嗟に、私はその方の下半身にしがみついていました。

もし、手を離したら、その方は命を落としてしまう。後悔するだろう。 でも、このまま手を離さなければ、私も共に落ちてしまうかもしれない……。

どれくらいの時間だったか、走馬灯のように思考が頭を巡りました。恐怖と、命を絶対に守り抜くという責任感の板挟みでした。事務の男性が駆けつけて患者さんを取り押さえ、部屋へ連れて行かれました。

私はどうだったかというと……腰が抜けてしまって、暫く立てなかったのです。これまでの人生で、腰が抜けるという経験は、あの極限の時だけです。

この出来事は、命を守り抜いたという安堵の裏で、一人の医療者がどれほどの恐怖と緊張を負ったのかを、私の身体が正直に物語っていました。

白い雪景色を背景に、建物の8階ベランダで、病衣姿の患者が手すりを乗り越えようとしている。半袖ユニフォームの看護師が必死に患者の下半身にしがみつき、後ろでは同僚の男女が焦った表情で駆け寄ろうとしている。緊迫した状況が伝わる。
 2月の凍える朝、8階のベランダで患者の命を必死で支える看護師。極限の状況で恐怖と責任感に板挟みになる

<未告知の患者さんの思いに、言葉を尽くした一瞬の安寧>

それから10数年ほど経ち、大学病院に勤務していた時のことです。

40代くらいの悪性の病を抱える男性患者さん。主治医は、病名を本人に伝えないというスタンスを貫いていました。そのため、患者さんは再入院の度に、自分の病について看護師に詰め寄り、私たちもコミュニケーションに苦慮していました。

患者さんは、病の真実を知りたいと切望しながらも、その答えを聞くことを恐れるという、非常に複雑な心境にいらっしゃったと思います。しかし、今後の人生設計や、僅かな望みを持つためにも、「ご自身の体のこと」をご自身で知りたいという強い思いが、私たち医療者への問いとなって現れていたのでしょう。

ある再入院前、在宅の主治医から私へ、「本人に告知されていないために治療に困っている。何とかならないか」という相談がありました。

ある時、私はその患者さんと向き合い、ただ一言、心からの思いを伝えました。 「私は、あなたが言うことを否定はしません」

看護師が患者さんへ病名を告知することはできません。しかし、私のこの言葉を聞いた瞬間、患者さんの表情は、長らく抱えていた重い扉が静かに開いたかのような安堵に満たされました。堰を切ったように話し始めた後、やっと穏やかになられ、私に一言「ありがとうございます」と伝えてくれたのです。

告知の壁、医療者間の立場の違い。様々な葛藤がある中で、患者さんの「知りたい」という自己決定の権利を、「受け止め、否定しない」という姿勢でそっと支えることが、どれほど人の心を救う力になるのかを痛感しました。患者さんは、私の言葉によって真実を知ったのではなく、自分の内なる問いに対する答えを、ご自身で下すことに安堵されたのだと思います。

明るい日差しが差し込む病室で、中年の男性患者がベッドに座り、女性看護師が隣の椅子に座っている。看護師は患者の手を両手で優しく包み込むように握り、お互い穏やかな表情で向き合っている。患者の表情からは、心からの安心感が伝わる。
病室で、看護師が患者の手を優しく握り、心に寄り添う一瞬。言葉を尽くして患者の不安を受け止め、静かな安堵が訪れる。

<尽くした努力の先に、悲嘆への葛藤>

もうひとつの、自死に関する経験も忘れることができません。

やはり大学病院でのことです。30代の女性。難病で何度も入退院を繰り返し、リストカットでの入院も何度もありました。

その時の入院では、万が一のことがあってはいけないと、リストカットの危険になり得るものをご本人の周りから全て排除して受け入れました。細心の注意を払っての対応でした。

しかし、入院したその日の夜中、スタッフからの電話で病院へ駆けつけると、その方は布団の中でリストカットをされ、亡くなっていました。

尽くした努力、万全の対策をもってしても、防ぎきれない死がある。この事実は、私や他のスタッフに、深い無力感と自責の念を残しました。


<「支え手」である私たちが、次に進むために>

これら命と直面した経験は、私の中に今も深く残っています。

私たちは、患者さんの苦痛に寄り添うあまり、自分自身の心が悲鳴を上げていることに気づきにくいのかもしれません。

命を繋ぎ止めた時、言葉で心を救えた時、そして、どれほど尽くしても守りきれなかった時……。そのすべてにおいて、私たちは患者さんの痛みと共に、自分自身も傷ついているのです。

この痛ましい経験のすべてが、私に一つの揺るぎない信念を与えてくれました。 だからこそ、私は、この信念を強く持ちたい。そして、「看護師 辞めたい」と悩むすべての医療従事者へ伝えたいのです。

私たちは頑張りすぎているかもしれません。自分自身の心身の疲弊に気づき、「助けを求めること」「誰かに支えてもらうこと」を決して恥ずべきことだと思わないでください。お互いの経験を共有し、支え合うこと。 それこそが、この過酷な命の現場で、 患者さんを支え続けるための、最も優しく、そして大切な一歩ではないでしょうか。

それから、もう一つ、私にとって大事な言葉があります。それは「メメント・モリ」と言う言葉です。大学時代にある講座でその言葉を知りました。『メメント・モリ=ラテン語で「死を想え」「死を恐れるな」』です。この言葉には「今を大切に生きる」こと。死を想えばこそ、生きていることを大切にしなさいと言う意味が込められています。この高野山での学びを通じて、都内で開催されていたメメント・モリを考える会(日本メメント・モリ協会)にも何度か参加させてもらいました。


<結び>

支える人を支えること、それは、患者さんを支えるのと同じです。 私たちは、この悲嘆への葛藤から受けた心の傷をどう乗り越え、後悔のない「生」の選択へと繋げていけばいいのでしょうか。

次の記事では、**医療の現場で使われる「Choosing Wisely(賢明な選択)」**という考え方を、私たちの人生の選択へと応用します。グリーフケアにも触れ、この二つの記事で感じた「生と死の重み」を、より良い未来のための知恵に変えていく方法を考察します。

➡️ 次の記事を読む:[人生の「賢明な選択」とは?:Choosing Wiselyが教える、後悔しない生き方]


 

 
 
 

1件のコメント

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尾高貴美子
6日前

【研修を受けて、改めて思うこと】患者の「心が置き去り」になる病院の現実


ブログ投稿後、メディエーション(調停・仲介)に関する研修を受ける機会がありました。そこで改めて深く感じたのは、私たち医療者が命の現場で抱える「悲嘆への葛藤」が、実は患者さんの「心の置き去り」という現実と密接に繋がっているのではないかということです。

病院での入院生活では、患者さんは身体的な治療を最優先で受けますが、その身体と同時に心も深く病んでいます。しかし、多忙な現場では、患者さんの「心」に焦点が当てられることなく時間が流れ、いつしか患者さんの心が置き去りになっていくことが当たり前になってしまっているのではないでしょうか。

研修後、自問自答を繰り返しました。

「患者さんのお気持ちに心から寄り添ったケアは本当にできなかったのか」 「忙しさを理由に片付けたが、ほんの3分でも、立ち止まって心を傾ける会話はなかったのか」

患者さんの病んでいる心に寄り添い、その心全体を受け止めることで、もしかしたら私たちは、患者さん自身が望む「違った道」を見つけるお手伝いができたのではないか——。

この自責にも似た思いは、現場の限界と、理想とするケアとの間で揺れ動く、医療者の真摯な心の声だと受け止めています。患者さんだけでなく、私たち「支え手」の心も大切にしながら、たった3分でも心を交わす時間の持つ力を、改めて信じたいと思います。

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