top of page
検索

海外アクシデントシリーズ外伝     〜80歳の母と甥がやってきた!シアトル留学体験の案内記〜

海外アクシデントシリーズ外伝 〜80歳の母と甥がやってきた!シアトル案内記〜

私のアメリカ留学中、当時80歳近くになる母が、甥を伴って私の元を訪ねてきたことがありました。


◆ シアトル留学体験で母と甥を迎えた空港のヒヤヒヤ事件

私は二人を迎えに、シータック空港(シアトル・タコマ国際空港)の到着ロビーで待っていました。ところが、他の乗客たちが次々と出てくるのに、二人がなかなか現れません。ほとんど人がまばらになった頃、ようやく姿を見せました。


遅れた理由は入国審査でした。「宿泊先」の質問で引っかかってしまったのです。一般的なホテルのような観光滞在ではなく「知人宅(一般住宅)」に泊まる予定だったため、英語がおぼつかない甥がうまく説明できず、時間がかかってしまったようでした。無事に二人の顔を見たときは、心底ホッと一安心したのを覚えています。


◆ にぎやかな「床とソファ」の居候生活

今から思い返すと、二人が何日間滞在したのかはっきりとは思い出せませんが、私のお気に入りの場所へたくさん案内しました。


宿泊先は、当時私がホームステイしていたお宅です。住主のアメリカ人看護師(女性)がちょうど旅行で留守にしていたため、お部屋をお借りすることができました。私の部屋のベッドを母に使ってもらったのですが、アメリカのベッドは高さがあり落下の心配があります。そこで私は、万が一に備えてベッドの下の「床」に布団を敷いて寝ることに。甥にはリビングのソファをベッド代わりにして休んでもらいました。


◆ 学び舎を訪れて 

当時のベルビューコミュニティーカレッジ(BCC、現在はベルビューカレッジ)の中央にあるモニュメント広場や学食のビュッフェへ案内し、私が日頃どんな環境で学び、何を食べているのかを見てもらいました。当時50歳を過ぎていた娘の学びの現場を、ゆっくりと紹介できた貴重な時間でした。


◆ 名物「アヒルバス」とバシバシ叩くカニ料理!

日中は、色々な観光スポットへ出かけました。

まずは、水陸両用バスの「Ride the Ducks of Seattle(ライド・ザ・ダックス)」。今調べてみたところ、残念ながら2015年に営業終了してしまったようですが、当時は大人気のツアーでした。

乗客全員に「ガッコガッコ」と音が鳴るアヒルの笛(クワッカー)が配られ、街を走ったあとそのまま湖へプカプカと飛び込んで浮かぶのです!(※ちなみに、日本でも日光や湯西川温泉、山中湖などで水陸両用バス「ダックツアー」が楽しめますよね。)


それから、私のお気に入りレストラン「The Crab Pot(ザ・クラブポット)」にも連れて行きました。テーブルの上にカニや海鮮が山のようにドカンと広げられ、それを木づちでバシバシ叩いて割って食べるスタイル。豪快でとても楽しかったですね!


◆ ウエスタンブーツとイチロー選手の応援 

付き添いで来てくれた甥の目的は「ウエスタンブーツ」の購入でした。いろいろ調べてレッドモンドにある専門店へ向かい、せっかくなので私もついでに一足購入してしまいました(笑)。そのブーツは、滞在中に数回訪れたカントリーダンス(ウエスタンダンス)の集まりに、さっそく履いて出かけました。


そして当時、鈴木一朗(イチロー)選手がシアトル・マリナーズに在籍していたため、もちろん球場へ野球観戦にも向かいました!ただ、母は野球にあまり興味がなかったため、日本語が堪能なアメリカ人の友人が、別の場所へ観光に連れ出してくれました。


◆ すし屋を貸し切っての歓迎会 

母の初めての訪米を祝って、日本人が経営していたおすし屋さんを貸切にし、歓迎会を開きました。参加したのは私たち3名のほか、現地のアメリカ人の友人たち4名を含めた計7名です。

アメリカ人の友人のうち、お二人はご主人がアメリカ人の日本人の方で日本語が通じます。残るお二人のアメリカ人のうち、お一人は日本語がとても堪能でした。もう一人は私のルームメイトのような存在の方で、日本語は話せません。

そのため、母や甥以上にそのルームメイトが孤立しないか心配したのですが、皆さんが温かく気遣い合い、とても和気あいあいとした時間を過ごすことができました。


◆ 見送りと、心に残る対話の原点 

最後のお見送りの記憶は今では少しおぼろげですが、高齢の母の体を気遣い、甥がビジネスクラスの手配をして連れてきてくれたおかげで、道中の負担も少なく無事に送り届けることができ、心から感謝しました。


言葉も文化も、年齢も違う人たちが同じテーブルを囲み、互いを気遣いながら笑顔で過ごしたあの夜。「言葉が完璧に通じなくても、相手を思いやる気持ちと少しの工夫があれば、人は心地よく繋がれる」ということを、母の笑顔と友人たちの温かさから教えてもらいました。


国の違いだけでなく、職場における多世代の関わりや多様な人材育成でも、根底にあるのはこの「お互いの違いを認め、歩み寄る対話」です。遠いシアトルの地で家族や仲間と分かち合った温かな時間は、今も私の対話支援や組織づくりの大切な原点となっています。


※追記 実は留学当初、最終的にはUW(ワシントン大学)への編入を希望していました。語学の壁を乗り越えるため、特に論文作成で困らないよう朝方までエッセイの執筆に向き合う日々を送っていました。BCCを修了した際、クラスメイトの多くはUWへと進学していきましたが、私といえば日頃からこのような「散財」を重ねていたこともあり(笑)、用意していた資金も乏しくなって2年で帰国することに。 それでも、机の上だけでは得られない本当に多くの貴重な学びがあったと感じています。

80歳近い母と甥とのシアトル滞在を描いたコラージュ。シータック空港、ベルビューコミュニティーカレッジ、水陸両用バス、カニ料理、ウエスタンブーツ、野球観戦、友人との食事など、家族と現地の人々との交流場面をまとめている。
80歳近い母と甥が訪ねてきた、シアトルでの思い出。空港での出迎えから観光、食事、野球観戦まで、世代や文化を越えて人とつながった温かな時間でした。

 
 
 

コメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
bottom of page