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民生委員の活動は“ありがとう”だけではない ー拒否と不信の中で学んだ地域支援の本質ー   No63

1. 民生委員の活動は「月一度の会合」だけではなかった現実

当時の私は、病院で看護部長を務める多忙な日々を送っていました。地元の方からの「なり手がいなくて困っている」という切実な声に押され、引き受けた民生委員


「月に一度の会合だけ」そう聞いて引き受けた民生委員でしたが、現実は全く違いました。

5月には高齢の方の家を一軒ずつ回り、健在把握をする仕事もありました。

担当区域の75歳以上の30~40件ほどの世帯を一軒一軒回る中で、私は本業との両立の難しさを実感し始めます。

それでも「やるからには顔の見える関係を」と、自作の自己紹介ビラを手に、地域へ一歩踏み出しました。

「広げよう 地域に根ざした 思いやり」というスローガンが書かれた民生委員の自己紹介ビラ。愛犬2匹を抱いて笑顔の尾高貴美子さんの写真とともに、民生委員児童委員の仕事内容や、子育て・介護・行政への問い合わせなど、相談できる内容が箇条書きで分かりやすくまとめられている。
当時、地域の皆様に自分を知っていただくために自作した自己紹介ビラです。住所や電話番号は伏せつつも、まずは「顔の見える関係」を築くための第一歩として、担当世帯へお渡ししました。

※掲載画像は地域名を削除した上で、民生委員活動の紹介資料として個別に使用していました。


2. 民生委員活動の現場で起きた3つの事例と学び

民生委員の活動は、決して「歓迎されること」ばかりではありません。むしろ、拒否や不信感という高い壁に阻まれることがあります。


  • 【事例1】専門職ですら慎重になるケースでの「二人一組」 

    隣人とのトラブルを抱え、地域包括支援センターから見守りを依頼された独居の方。

    センターの方々も「二人体制で訪問している」と聞き、私はボランティアの身として一人で深追いせず、他の民生委員に同行をお願いしました。

    自分の安全を守り、支援を止めないための「冷静な危機管理」が必要な場面でした。


  • 【事例2】玄関ベルの拒絶が、路上での「再会」に変わるまで 

    同居する息子さんから訪問を強く拒まれ、玄関ベルを鳴らしても応答がない日々。

    それでも、私は隣人から様子を伺い、その方の存在を心に留め続けました。

    ある日、駅での用事のついでに、ふと人だかりを覗き込んだ時、私はあの方を見つけました。

    路上で倒れている姿。すぐに車椅子を借り、関係各所へと繋ぎ、最終的には娘さんとの連絡が取れるようになりました。日頃から気にかけていたからこそ、咄嗟に手が動いた瞬間でした。


  • 【事例3】エスカレートする近隣トラブルと、情報の盾

    聴覚障害のある高齢者宅を訪問していた際、近隣住民から切実な相談を受けまし 

    た。   

    「家を見張るな!」と、その家の息子さんが怒鳴り込んでくるというのです。

    それだ けではありません。相談者の息子さんが仕事に行く際、あちらの息子さんが後 を付けて職場まで行き、同じようなことを言ってきたというのです。恐怖に怯える近 隣の方に、私は「寄り添う」ことを続けながら、同時に一人で抱え込まないよう、地 域包括支援センターや市の担当者へ即座に状況を共有しました。

    そして、後に相手方のお姉さんとも情報共有することができました。

    解決できない問題だからこそ、組織として情報を共有し続ける。それが自分と地域を 守る術でした。


3. 結び:民生委員活動が教えてくれた地域の絆の大切さ

受諾から半年後、私は長年務めた仕事を退職し、活動の軸を地域看護へとシフトさせました。暮らしの現場で起きている「不確かなこと」を見守り、繋いでいく。そこに、本当の支え合いの原点があると感じたからです。


「広げよう 地域に根ざした 思いやり」 あの時作ったビラに込めた想いは、今も私の事業「harmonia planet」の根底に流れています。


最後に、事例に関しては、個人が特定されないよう配慮して記述しています。

 

 

 
 
 

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