NO8)第3部:留学で得た宝物と帰国の決断
- harmonia77
- 2025年7月25日
- 読了時間: 3分
更新日:2025年9月1日

<ボランティア活動での経験:ナーシングホーム/Evergreen Hospital>
勉強以外に、シアトルにあるKeiro Nursing HomeとEvergreen Hospitalでボランティア活動をしました。活動には申し込みだけでなく、講義の受講や安全・感染対策に関する試験も必要でした。ナーシングホームでは主に食事介助を担当し、Evergreenでは総合受付での案内や入退院患者の移動介助を行いました。入院期間が短いため、退院時、多くの患者は車椅子で車まで移動する姿が印象的でした。また、私はアメリカでの看護師資格を持っていませんでしたが、日本での経験を考慮され、Day Surgeryユニットで術前ケアを担当看護師と共に行う機会も与えられました。Evergreen Hospitalでは、年1回ボランティアに功労者表彰があり、継続年数に応じてメダルが贈呈され、メダルの長さで貢献度が分かる仕組みでした。
<家族や友人の訪問:シアトル・フロリダ・バンクーバーへの旅>
留学中、80代の母が甥と共に私を訪ねて来てくれました。母の来米時には、近くの和食レストランを貸し切り、現地の友人を招いて食事会を開きました。また、甥と一緒に当時マリナーズに所属していたイチロー選手の試合も観戦しました。学生時代からの友人がフロリダのディズニーワールドに来るというので、オーランド国際空港に迎えに行き、レンタカーでフロリダをドライブしました。さらに、シアトルから車で行ける距離にあるバンクーバーにも4回ほど訪れました。
<留学予定5年が2年で帰国とアクシデント>
当初は5年間の滞在を予定していましたが、想定していた留学予算を2年で使い果たし、ちょうどBCC(Bellevue Community College)で最終学年を迎えていたこともあり、帰国を決意しました。語学力はまだ十分とは言えませんでしたが、「恋人ができれば語学は伸びる」と聞いていた通り、現地で出会った男性と交際を始めたことで、電話での会話には少し自信が持てるようになっていました。
そんな中での帰国でしたが、別れの時間を惜しんでしまったことと、当時のテロ後の影響で出入国審査が厳格化していたことが重なり、搭乗ゲートに到着したときには飛行機はすでに滑走路へと移動を始めていました。幸運にも飛行機が引き返してくれて無事に搭乗できましたが、乗客の冷たい視線は、今も忘れられない“帰国の洗礼”となりました。
<振り返って思う留学の意味>
一般的には年齢的背景もあり無謀に見えたかもしれません。しかし、この留学経験のおかげで、帰国後に東京大学医療政策人材講座(通称HSP)を受講できる機会に恵まれました。また、神奈川県総合計画の評議員一般公募にも応募し、40名近い中から2名採用の一人に選ばれることもできました。こうした経験を経て現在に至っており、留学は私に「新しい世界への挑戦」をたくさん運んできてくれたのだと感じています。
<最後に>
このブログ記事は、私自身が50代で挑んだ米国留学の経験と、その後の人生の歩みにどのように影響を与えたかを綴ったものです。異文化の中で言葉や価値観の壁を越えて築いた関係性や、医療・介護現場でのボランティア経験は、現在私が提供している以下のような仕事に、直接的に活かされています。
企業向け研修(医療・介護施設を含む):多様な背景を持つ人々との関係構築、伝える力、傾聴力を育むプログラム設計
医療現場における患者支援や家族ケア:立場の違う人々をつなぐ対話支援や、コンフリクトマネジメント
個人向けカウンセリングやミュスクルランフ技法の提供:安心・信頼を基盤とした関係性の構築と、回復へのプロセス支援
harmonia(ハルモニア)の名のもとに、「調和」「支え合い」「誠実な関わり」を軸とした活動を行っております。
このような経験が、誰かの気づきや共感、そして前向きな一歩につながれば嬉しく思います。





全て拝見させていただきましたが、なんと波瀾万丈!濃い濃い人生なのでしょう、
そして未だ新しいことに次々チャレンジ!すごいです!(LINEで頂いたコメントを了解いただいて掲載しています)
学校の勉強は大変だったのにボランティアもして、そしてそこから多くのことを学んだ。その経験大きく生きているというのが本当に素晴らしいです。
凄いなぁー!
私も今CNAとして働いているので医療や現場等には興味あります。でも貴美子さんのようには頑張れてない…なぁ(LINEで頂いたコメントを了解いただいて掲載しています。アメリカ在住)
(^○^)やっぱり尾高さんすごいなぁ!バイタリティが違う(LINEで頂いたものを了解いただいて掲載しています。)