「サインのための医療」から「対話のための医療」へ ―Choosing WiselyとSDM(共同意思決定)が紡ぐ、納得の選択―No74
先日、Choosing Wisely Japan(CWJ)のZoom研修会に参加いたしました。今回は同会代表の小泉俊三先生によるご講義でした。
研修の中で取り上げられたキーワードの一つに、SDM(Shared Decision Making:共同意思決定)があります。これまでもCWJの活動の中で耳にする機会はありましたが、私にとっては改めてその本質を深く問い直したくなる、新鮮な響きを持つ言葉でした。
インフォームド・コンセント(IC)すらなかった時代からの歩み
私が看護学生だった1970年代、医療現場にはまだ「インフォームド・コンセント(IC:説明と同意)」という概念すら定着していませんでした。
日本でICが本格的に制度化されたのは、1997年の医療法改正において「医師等の医療提供者が適切な説明を行い、理解を得るよう努めること(努力義務)」が明記された時です。私の看護師キャリアから振り返ると、決して遠い昔のことではありません。
かつてのブログ(No25)でも、病名の告知がなされないまま深いジレンマと孤独の中に置かれていた患者さんのエピソードに触れたことがありました。まさにあの時代こそが、現場においてICの必要性が切実に叫ばれ始めた過渡期だったと感じます。
一方、SDMという考え方も1980〜1990年代にかけて欧米を中心に芽生え、患者の自己決定権やエンパワーメントの重要性と共に関心を集めてきました。一般的には「ICをさらに一歩推し進め、より主体的な患者参加を目指す形」として紹介されています。
「3分診療」と印刷された同意書 ―形骸化するICの現実―
しかし、制度として定着したはずのICは、現場でどのように運用されているでしょうか。
医師の外来診療が「3分」とも称される過密な医療現場において、限られた時間内に複雑な治療内容を噛み砕いて説明し、真の理解と同意を得ることは、私が臨床にいた頃から極めて困難な課題でした。
その負担を軽減するために普及したのが、いわゆる「IC用紙(同意書)」です。
ルーティン化された治療や検査に対してはあらかじめ説明文が印刷され、医師が要点を早口で補足し、その場で患者さんに署名をいただいて完了とするというものです。
業務の効率化という点では大きな進歩でしたが、しかし、その一方で失われたものもあります。これはある意味、対話の「極端な簡略化」でもあります。身近な例を挙げれば、インフルエンザワクチンの事前予診票なども同様です。
用紙を渡された際、副反応や生じうるリスクを真に理解した上でサインをしている人が、果たしてどれほどいるでしょうか。「紙を渡されると、細部まで読まずに名前だけ書いてしまう」という経験は、多くの方に心当たりがあるはずです。
ICからSDMへ ―「一方通行の説明」を「対等な協働」へ変える―
では、従来のインフォームド・コンセント(IC)と、共同意思決定(SDM)の決定的な違いはどこにあるのでしょうか。

これまでのICは、構造として「一方通行の説明」になりがちでした。専門知識を持つ医師が治療法Aと選択肢Bを提示し、「どちらになさいますか? こちらにサインを」と患者側にボールを投げる。一見すると患者の自己決定を尊重している体裁ですが、圧倒的な情報格差を抱える患者さんからすれば、ただ責任を丸投げされたように感じて「先生にお任せします」と委ねるか、重い決断の孤独を背負い込むことになります。
対するSDM(Shared Decision Making)は、「医師と患者が対等なパートナーとして、共に最善の答えを探し出す対話のプロセス」です。
医師が持つ専門性:医学的エビデンス、検査数値の分析、各種治療の利点とリスク、予後の見通し
患者が持つ専門性:これまでの人生観、大切にしたい生活習慣、家族や仕事の事情、譲れない生き方の希望
医療の専門家である医師と、自らの人生の専門家である患者。
両者が互いの知見を同じテーブルの上に並べ、「わたし(あなた)の人生において、どの選択肢が最も自然で納得できるだろうか」と膝を突き合わせて話し合うことこそが、SDMの真髄です。
正解が一つではない時代――Choosing WiselyとACPの交差点
かつての急性期医療が中心だった時代であれば、「命を救うための絶対的な正解」が一つに定まっていたかもしれません。しかし、超高齢社会を迎え、慢性疾患と共に生きる人が増えた現代の医療・在宅ケアにおいて、万人に共通する単一の正解は存在しません。
身体への負担を覚悟して強い抗がん剤治療に挑むのか、それとも副作用を抑えて自宅で家族と穏やかに過ごす時間を優先するのか。
嚥下機能が落ちた時、胃ろうを造設するのか、それとも自然な経過に任せるのか。
こうした決断は、客観的な医学データ(情報)だけで機械的に割り出せるものではありません。患者さん本人の「生き方・価値観」が色濃く反映される領域だからです。
だからこそ、単なる延命の是非ではなく「自分らしくどう生きるか」を対話するACP(アドバンス・ケア・プランニング:人生会議)や、過剰で不要な医療を見直して真に必要なケアを選ぶChoosing Wiselyの実践には、このSDMという共同作業の土台が欠かせません。
診察室の「3分」を埋める、看護とメディエーションが架け橋
とはいえ、時間に追われる診察室で、多忙な医師が単独で患者さんと丁寧なSDMを完結させることには、物理的な限界があるのも事実です。
そこで極めて重要になるのが、看護師や医療メディエーターをはじめとする多職種による「対話の支援」です。
診察室では白衣の威圧感に緊張して「はい、先生にお任せします」としか言えなかった患者さんが、処置室のベッドサイドや待合室で、ふと「本当はね、来春の初孫の結婚式までは、自分の足で歩いて自宅で過ごしたい!」と本音をこぼされることがあります。
時には言葉なき声、細胞が発するかすかなサイン(No50)、生活者としての切実な願いを丁寧にすくい上げ、医師と患者の間に生じる「認識のズレ」を解きほぐして対話の俎上に載せること。これこそが、チーム医療における対話の架け橋です。
紙切れ一枚へのサインで終わらせる医療から、納得のいく選択を共に創り出す医療へ。 互いの尊厳と立場を尊重しながら、賢明な選択(Choosing Wisely)を共に見出していく関係性を現場に育むこと。私が『harmonia planet』を通じて目指している教育や組織支援の原点も、まさにこのSDMの思想の中に息づいています。





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